観光情報
会津藩士の墓
2026.02.24
焼尻島には、江戸時代後期、北方警備にあたった会津藩士の墓が静かに残されています。
文化4年(1807年)、ロシア船による蝦夷地襲撃を受け、幕府は奥羽諸藩に北方防備を命じました。会津藩は宗谷・利尻・樺太などを任地とし、約1,600名が出兵。うち約250名が利尻島に派遣され、北の海を守る任務にあたりました。
翌文化5年(1808年)、任務の往復や警備の途上で命を落とす藩士もいました。利尻島では、暴風雨による難破や病により亡くなった計8名の藩士を弔う墓碑が建立されています。
焼尻島に残る墓は二基あります。一基には
「会津小原巴近忠貫墓 文化五年戌辰七月十一日」、
もう一基には
「会津山内一学豊忠基 文化五年戌辰七月十六日」
と刻まれています。
焼尻島における当時の詳細な記録は残っていませんが、北方警備へ赴く途上、あるいは帰還の途上で船中にて亡くなった二人を、焼尻に寄港して埋葬し、後の航海で墓石を運んで建立したものと伝えられています。
これらの墓は、当初は支所前坂の中腹にありましたが、その後西浦の墓地へ移され、さらに再び元の位置へ、そして現在地へと、三度にわたり移転してきました。島の人々によって守り継がれてきた歴史を物語っています。
静かな海と風に包まれたこの場所は、観光地であると同時に、北の最前線で任務にあたった人々を偲ぶ場でもあります。
島を巡る際には、豊かな自然とあわせて、この地に刻まれた歴史にも思いを寄せてみてください。